2014年7月13日日曜日

シェイクスピア オセロー 蒼井優が気づいた"あなた"の秘密

Desdemona : How is't with you, my lord ?
デズデモーナ「ご気分はいかが、あなた?」

Othello : Well my good lady.
オセロー「元気ですよ、奥様。

(Aside) O, hardness to dissemble !
(傍白) ああ、心をあざむくのは苦しい!

How do you, Desdemona ?
お前はどうだ、デズデモーナ?」

Desdemona : Well my good lord.
デズデモーナ「元気ですよ、あなた」



シェイクスピアの劇「オセロー」三幕四場の1シーンです。オセローとデズデモーナは夫婦です。オセローは、部下の策略(というか逆恨み)で、妻デズデモーナの不倫を疑っています。妻を疑う気持ちを押し隠して、平静を装っているオセローと、夫から疑われているなんて全く思っていない妻の会話、というシーンです。

このシーンを演じていた蒼井優はある違和感を感じ、翻訳家に質問をしました。「デズデモーナの台詞の"あなた"は、全部同じ"あなた"ですか?」翻訳家は一瞬きょとんとして、質問の意図を掴み兼ねます。が、改めて原文を精読すると、女優の質問の真意に気づきます。


上記の引用をみてましょう。最初の"あなた"は"my lord"、2度目の"あなた"は"my good lord"。確かに違います。"my lord"は直訳すると、"私の主人"。相手への語りかけ言葉として、"あなた"という表現です。劇中、デズデモーナは夫であるオセローに、"my lord(あなた)"と語りかけます。ところが、上の会話の最後の箇所のみ"my lord"ではなく、"my dear lord"と呼びかけています。劇中、この一箇所だけです。

"dear"が加わるとどういう意味になるのでしょうか?実は意味自体は変わりません。主人への呼びかけの言葉なので、訳としては間違ってはいないのです。ただし、ニュアンスが変わります。よりかしこまった、慇懃無礼な表現となります。では、なぜこの箇所だけそうなるのでしょうか?


答えは、夫オセローのセリフにありました。"Well my good lady(元気ですよ、奥様)"
このセリフと対をなして、"Well my good lord"になっているのです。"my good lady", "my good lord"とは普段は使わない慇懃無礼な表現、かしこまった他人行儀な言い回しです。オセローが、そういう言い回しをしたのは、傍白にある通り妻デズデモーナへの疑いの気持ちを隠すためです。もっというと、不倫を疑っている妻に"good"という形容をしてるわけですから、これは皮肉な当てこすりでもあります。

一方デズデモーナはそもそも潔白の身で、夫に疑われていることさえ知りません。"my good lady"という、かしこまった言い回しを夫がふざけて冗談を言っているのだと思い、それに応じていつもの"my lord"ではなく、"my dear lord"と返したのです。疑心暗鬼のオセローと、純真無垢なデズデモーナ。シェイクスピアはそんな2人のすれ違いを、"dear"という単語一言で表現しているのです。


ところで蒼井優は、なぜこの"あなた"に疑問を感じたのでしょうか?上記の日本語訳を読んでも違和感はないはずです。翻訳家が彼女に逆に質問します。

「どうしてそう思ったの?」
「だって、それまでオセローに"奥様"なんて呼ばれたことなかったから、どんな気持ちで"あなた"って返していいか分からなかったんです」



「呼ばれたことなんてなかったから」というのがすごいですね。完全にデズデモーナ視点です。これが女優かと、感動しました。ちなみに劇の脚本も最終的には、"あなた"ではなく"旦那様"に変更されました。写真はこのシーンを演じている蒼井優です。「奥様なんて呼ばれちゃった」という表情をして、オセローを振り返り茶目っ気たっぷりに「元気ですよ、旦那様」と返しています。



このエピソードは、翻訳家の松岡和子さんの書籍「深読みシェイクスピア」で紹介されています。面白い話だと思いませんか?


















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